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荒海図 あらうみのず

土地
京都御所
建物
清涼殿
部屋
弘廂
種別
障壁画
作者
時代・年代平成時代
製作年
寸法H1.73m×W1.28m
材質麻本墨画
形式
原画・模写模写

 障子と言えば、現在では淡く光を通す明り障子を指しますが、もともとは衝立や襖などの総称でした。京都御所では、襖の形式で障子と呼ばれるものに、紫宸殿の賢聖障子(けんじょうのしょうじ)と清涼殿の荒海障子(あらうみしょうじ)があります。この荒海障子は、清涼殿弘廂の北端にあり、その絵は土佐光清(とさみつきよ)が安政2年(1855)内裏御造営の際に麻布張りに、墨絵で(えが)いたものです。平安時代から伝わる伝統的な障子で、図柄は中国の『山海経(せんがいきょう)』に記された伝説の国の光景であり、手や足の長い人物が(えが)かれています。清少納言の『枕草子』の一節には「清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北のへだてなる御障子は、荒海のかた、生きたる物どものおそろしげなる、手長足長などをぞかきたる。上の御局の戸を押し開けたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ」と記されています。画面右上には、花山院家厚の書による色紙が貼られています。