障子と言えば、現在では淡く光を通す明り障子を指しますが、もともとは衝立や襖などの総称でした。京都御所では、襖の形式で障子と呼ばれるものに、紫宸殿の賢聖障子と清涼殿の荒海障子があります。この荒海障子は、清涼殿弘廂の北端にあり、その絵は土佐光清が安政2年(1855)内裏御造営の際に麻布張りに、墨絵で画いたものです。平安時代から伝わる伝統的な障子で、図柄は中国の『山海経』に記された伝説の国の光景であり、手や足の長い人物が画かれています。清少納言の『枕草子』の一節には「清涼殿の丑寅の隅の、北のへだてなる御障子は、荒海のかた、生きたる物どものおそろしげなる、手長足長などをぞかきたる。上の御局の戸を押し開けたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ」と記されています。画面右上には、花山院家厚の書による色紙が貼られています。